• Profile

    1967年生まれ。大阪府出身。モノづくりが好きで建築の道を志した。安藤ハザマは若手でも挑戦する多くの機会があると感じ入社を決めた。これまで数多くの物件を担当してきたが、いずれの現場でも建物が竣工したときは涙がこぼれるほどの感動があったという。プライベートでは一男二女の父。家族を連れて、自分が担当している現場を見せることも。休日はジムで汗を流す。「若い者に負けたくない」気持ちから、体力づくりに励んでいる。

  • Career History

    1993年 築地市場駐車場棟2(第1期)建設工事
    1999年 茨城大学総合情報処理センター等新営その他工事 作業所主任
    2002年 日本経済新聞社恵比寿専売所新築工事 作業所長
    2003年 (仮称)千石二丁目計画新築工事 作業所長
    2004年 (仮称)クレストフォルム日本橋大伝馬町新築工事 作業所長
    2006年 (仮称)虎ノ門第一ビル新築工事 作業所長
    2008年 「(仮称)新宿駅東口ビル」地下解体・建物新築工事 作業所長
    2012年 薬丸病院産婦人科棟新築工事 作業所長
    2013年
    ~現在
    (仮称)中央土地八重洲一丁目プロジェクト 作業所長

人と人の強い結びつきが現場を動かす力

現在、東京駅八重洲北口前で進められている建築プロジェクトは、尾崎にとって、作業所長として9ヵ所目となる現場だ。建物は、延べ床面積約1万5000㎡、地下2階、地上12階、高さ約66m、店舗、事務所棟からなる複合施設である。
「今回の現場の特徴は2点あります。既存建物の解体にあたって地下外壁を有効に活用すること。外壁解体は近隣への影響が大きく、また廃棄物削減など環境面にも配慮し、外壁をそのまま活用することとしました。もう一つは無足場工法を採用していること。今回のビルは66mという高さ。この高さで足場を組んでいくことは危険性が高く、安全管理上大きな問題があります。そこで足場を組まずに、外壁をユニット化し、内部から吊るし作業者は室内から外壁を建込んでいくこととしました」
尾崎は、入社後、駐車場や共同住宅、病院、事務所ビルなど様々な現場を経験してきた。ターニングポイントとなったのは、初めて作業所長として着任した現場だった。入社12年目、新聞専売所の新築工事である。ただ作業所長といっても、社員は自分一人。“一人作業所長”だった。この現場で尾崎は大きな問題に直面した。それは、近隣から建築反対の運動が起こり、工事の進捗が阻まれたのである。尾崎は近隣住民と工事に関する協定を作り、誠意を持ってそれを遵守することを心がけた。さらに地域で行われる餅つき大会や野球大会などにも積極的に参加、住民と打ち解け合う機会を作っていった。
「人と人との結びつきがいかに大切なものかを、身に染みて感じました。それは近隣の方のみならず、協力会社の職人さん、お客様、そして社内のスタッフも含め、人との良好な人間関係が仕事を動かす力になると実感したのです」

所長の軌跡と基軸

仕事を任せることで若手が育つ環境を作る

“一人作業所長”の経験、あるいはそれ以前に現場で経験したことを基に、尾崎は自分なりの「作業所方針」を定めた。それは次のようなものである。

  • 安全協力会及び職長会活動を充実させ、職方同士互いに安全指示できる仲間意識の強い環境をつくる。
  • 朝礼、打合せ等で大きな声を出す事を徹底し、覇気を高め活気のある作業所をつくる。
  • 地域の一員としての自覚をもち、近隣との良好な関係を保ちながら、工事を進める。
――これは尾崎が考える、あるべき現場の姿であり、現在に至るまで揺るがない尾崎の現場に臨むポリシーとなっているものだ。
「根底にあるのは技術者魂を持ちつつ、人を大事にしていくということです。モノづくりというのは、多くの人の手を借りるもの。その人を大事にすることが、技術力に加えて、モノづくりには極めて重要なことと認識しています」
尾崎にとって、作業所長として4ヵ所目の現場となった東京・虎ノ門の事務所ビル建築も忘れがたい。地上11階、高さ約60mという高層ビル建築は、初めて経験する現場でもあった。施工管理を担当する社員数も10人。それぞれを役割分担し適切にマネジメントしていくことが求められた。加えて新しいミッションの一つとなったのが、若手の育成である。
「人を育てるには環境作りが重要です。私は、作業所長を頂点とするピラミッド体制は好ましくないと考えています。ピラミッドの弊害は下の者が委縮してしまうところにあります。所長としてやるべきことはやり、部下に任せるところは権限委譲して任せる。そうした環境であれば、若手もアイデアを提案してくるなど、自分で考え動くようになります。そしてそれが、成長につながっていくと思っています」
過去、尾崎は多くの作業所長の下で働いたが、その姿を見て自分なりの作業所長像を描いてきた。それが、今の尾崎の作業所長としてのスタンスを形成している。

所長の軌跡と基軸

竣工を迎えたとき“思い切り泣く”、感動がある

建築の現場というのはパズルのようなものだと尾崎は言う。
「工程にせよ品質にせよ、必要とされるパズルのピース一つひとつを適切に組み合わせていくことで、現場は円滑に進むのです。そのジャッジをするのが作業所長の役割ですが、その能力は経験によって培われるもの。より高いレベルを目指して、スキルを磨いていきたいと考えています」 初めて作業所長になって以来、尾崎にとってすべての現場が思い出深く、深く心に刻まれているが、それは「人に始まり人に終わる現場」にたくさんの想いが詰まっているからである。現場に関わるすべての人と良い人間関係を作ることにこだわってきた尾崎にとって、一つとして同じような現場はない。
「お客様、地域の方々、作業員、そして社員が一体になって工事を進め、いざ竣工を迎えたとき、私は毎回のように思い切り泣いてしまいます。それほどの責任とやりがいがこの仕事にはあり、それに対して全身全霊でモノづくりに打ち込み、応えているという自負があるからです。無事に工事が終了した後、人々が建物を使用し、にぎわっている光景を見る喜びは“感動”の一言。作業所長の大きな魅力も、この感動を最も深く味わえるところにあると感じています」
入社して20数年、尾崎がその道程を振り返って思うのは、技術者として、人間として尊敬できる、多くの先輩に支えられ成長してきたという実感だ。自分もそうした先輩のようになることが目標でもある。
「まだまだ成長途上。勉強しなければならないことも山積しています。そしていつの日か、事務所ビル建築のエキスパートとして、超高層ビルのようなランドマーク的な建物を手がけてみたいと思っています」 涙の作業所長・尾崎弘高。多分、その涙の数の分だけ、作業所長としての尾崎を一回りも二回りも大きくしていくに違いない。

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