人の役に立つという実感を胸に、
女性初の現場所長を目指して

みんなで話し合いながら問題を解決しものをつくる醍醐味

私の実家は設計事務所を営んでいて、幼い頃から建設現場に触れる機会がありました。また当時からトンネルを抜けたときのワープ的な感覚が好きで、いつしか自分でつくってみたいと思ったのです。やがて、土木のスケールの大きさや社会貢献の高さ、人の役に立つ仕事であることに惹かれ、土木の施工管理を志望しました。入社後に配属された東北支店では内勤業務に配属され、ちょっとショックでした。早く現場に出たかったからです。でもそれも杞憂でした。3ヵ月後には念願の、共同溝の建設現場に配属されたのです。そこで半年勤務し、その後、変電所の既設洞道と新設洞道の連結工事を担当しました。
この2つの現場で感じたのは、職人さんも含めてみんな話し合いながら、現場で起こる問題を解決し、ものをつくっていく仕事の醍醐味です。また、知識不足のために職人さんに、言いたいことが伝えられないもどかしさ、悔しさも感じました。同時に、自分の意見を主張するだけではなく、相手のことを考え気遣うことの大切さも実感しました。嬉しかったのは、女性であることで、特別扱いも差別もなかったこと。男性に対するのと同じように接していただきました。

東日本大震災復旧工事、人の役に立てた実感に胸が熱くなった

私の転機となったのは、3つめの現場となる福島県の火力発電所復旧工事です。2011年3月に起きた東日本大震災で被災した火力発電所は、東北エリアの約8分1の電量供給を担う発電所であり、一日も早い復旧が求められていました。私は主に基礎部分の修繕が担当でしたが、施工計画も施工法も白紙の状態。しかも、当初予定よりも2ヵ月短縮して工事を終わらせる必要がありました。どうすればいいのかわからない中、所長から「君はどうしたい」と問いかけられたのです。それまでは与えられた仕事をこなしていることが多かったため、最初は戸惑いましたが、自分で考え発信していくことの必要性を認識しました。そして所長から何度かのダメ出しを受けながら、初めて施工計画書を完成させ工事に着手、急ピッチで工事を進めていったのです。
その後発電機材が設置され、電力の供給開始まで現場に残っていましたが、大きな、そして貴重な経験をさせてもらったと感じています。自分で考える大切さを痛感するとともに、震災復旧の一助として自分の仕事が多くの人の役に立ったという実感があり、現場を去るときは胸が熱くなりました。

将来、「お母さんがつくった道路だよ」とわが子に話すのが夢

現在は、東京外かく環状道路(外環)の建設現場を担当しています。地山を掘削後に構造物を建設して埋め戻し、トンネル道路とするという工事です。現在は掘削のための土留め壁としての「地中連壁」を造る工事を進めています。通常、「地中連壁」は水とベントナイト(粘土の一種)を使って掘削し、掘削した箇所に固化液を注入し、芯材を建て込んでつくりますが、今回はベントナイトの代わりに“気泡”を採用しています。発生する汚泥の量を少なくすることが可能なことから、コスト削減や環境負荷の低減に寄与する施工法で、今回現場で行っているCSM工法という地中連壁の工法と気泡の組合せは世界初の試み。是非とも成功させ、新工法として広く認知・普及するお手伝いができればと思っています。
私の目標は、入社のときから決めていました。それは、安藤ハザマ初の女性の土木現場所長になること。所長になることで、後に続く、土木の施工管理を目指す女性のロールモデルになれればと思っています。今後、女性ならではの、出産、育児などのライフイベントがあると思いますが、この仕事を長く続けていきたいと思っています。そして将来、自分の子供に「お母さんがつくった道路だよ」と話せる日を目指して、施工管理技術者として成長していきたいと思っています。

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