人々の願いを受け継ぎ、津軽の暮らしを守る
津軽ダム
青森・秋田県境の白神山地を源流に、津軽平野を経て、日本海にそそぐ岩木川。
その上流にあって、地域の暮らしを守るために建設されたのが津軽ダムだ。
下流域の水害を防ぐだけでなく、農業や工業、水道水を供給し、さらに発電まで、
多くの機能を備え、津軽エリアの生活を支え続けている。
津軽平野の暮らしを守る、多目的ダム
2016年に完成した津軽ダムは、「洪水の被害を軽くする」「田畑に水を供給する」「水道水に利用する」「河川の環境を保全する」「発電する」「工業に水を供給する」といった、6つの役割を担う多目的ダムだ。以前にあった旧・目屋ダムが、1960年の完成以降、何度も洪水を防ぎきれなかったため、再開発事業として津軽ダムが計画された。
農業用水は、約80万人が年間消費する水稲生産を支え、田畑、果樹園など幅広く利用される。水道用水は約4.7万人が1日に利用する水を供給している。
そんな津軽ダムは、2016年の完成後すぐにその効力を発揮した。2017年夏と2019年夏の降水量不足でも渇水を回避したのだ。さらに、2022年の8月には、完成後最大となる流域平均雨量累計502mmを記録する大雨に見舞われ、完成後既往最大の1,209㎥/sの流入量を記録したが、見事に下流河川の水位上昇を抑え、下流域の住民の暮らしをしっかりと守っている。
このように、津軽ダムはその役割を全うしながら、地域の暮らしと産業を支え続けている。
目屋ダム建設をめぐる「米一握り運動」
津軽ダムのある岩木川流域は、古くから洪水や渇水に苦しめられてきた地区だ。わずかな雨でも洪水が発生し、晴天が続くと渇水となる。そのため、1960年に目屋ダムが建設された。
目屋ダム建設にあたっては、いくつかの集落の移転が求められた。しかし、当然のように集落に住む住民は移転を拒み、ダム建設に反対したのだ。それを知った津軽平野の地域の方々から「自分たちのために移転する人に、何かお礼をしたい」と、当時の津軽平野の人々にできる精一杯の感謝の気持ちを込めて、一握りの米を持ち寄るという運動が行われた。現代の感覚では「たった」米一握りかもしれない。しかし、当時の津軽平野の人々はたびたびの水不足や水害に苦しめられ、決して裕福ではなかった。そんな状況下であっても、移転する人への感謝と思いやりの気持ちを示したこの「米一握り運動」に込められた津軽平野の人々の思いが、移転する住民の頑なだった心を溶かし、やがてダム建設への理解と移転につながっていった。
そんな目屋ダムであったが、完璧に水害を防ぐことができなかったことに加え、利水需要の増加も見込まれたことから、大規模な再開発プロジェクトが誕生する。1988年4月に実施計画調査が始まり、1991年4月に事業に着手されたのが、この津軽ダムであった。
その設置場所は、なんと目屋ダムの下流側60mの場所。しかも、目屋ダムが左右岸の岩盤を支える働きがあったため、そのままの形で残されることになり、津軽ダムの建設の困難度を高めた。
確かな管理と新技術で数々の困難を乗り越える
ダムの建設では、通常、工事区域に水が流入しないように、河川の流れを迂回させ、仮の排水路を築く。しかし、目屋ダムを残すために、仮水路を作れない。
そのため、河川を左右半分ずつに仕切り、片側ずつ河川の流れをせき止めて施工する工法が採用され、通常よりも複雑な工程となる難しい工事となった。
工事期間中の2011年3月には東日本大震災が発生した。工事は約2か月もの間ストップし、セメント供給元が被災し、早急な調達先の確保も必要となった。河川の流量が多く、現場となる白神山地は豪雪エリアとして知られており、工事中も除雪作業に追われることもあった。
東日本大震災での工期の遅れは、新しいコンクリート打設工法の「巡航RCD工法」を採用することで挽回した。当時、国内でも2例しか行われていなかった新工法だ。ダムは外部と内部で異なる特性のコンクリートを使用する。そのため、特性の違うコンクリートを一体化させるために作業の制限があった。それに対して、「巡航RCD工法」では専用機械を使用することでコンクリートの打設範囲を大きく拡大して、効率を飛躍的に向上させたのだ。
延べ400万時間の工事と延べ37万人の作業員が携わった一大プロジェクトは、安藤ハザマならではの確かな品質管理と安全管理により、数々の困難を乗り越えながら着実に工事を進められ、2016年10月、ついに津軽ダムが完成した。
地域に根付き、未来へ受け継がれる津軽ダム
津軽ダムは、6つの役割を備えた多目的ダムとして、目屋ダムを大きく上回る規模となった。高さは目屋ダムの1.7倍となる97.2m、岸から岸への左右の長さは約2倍の342m。総貯水量は約3.6倍の14,090万㎥となり津軽平野の安全・安心を支える社会インフラとして欠かせない存在となっている。
また、その役割だけでなく、技術力が高く評価され、ダム工学会の「技術賞」を受賞したほか、世界遺産である白神山地の玄関口にふさわしい景観デザインも評価され「土木学会デザイン賞」も受賞している。
津軽ダムでは、「ダム」+「観光」=「ダムツーリズム」を提唱し、予約をすれば無料で実施されるダム・ツアーやダム見学会をはじめ、ライトアップ、水陸両用バスの運行、カヌー・ラフティングなどが開催され、津軽の人々の暮らしを支えるだけでなく、その役割や歴史を伝える場としても、地域の魅力を発信する新たな観光資源として親しまれている。
仲間の信頼と地域の期待 現場が成長させてくれた
旧・目屋ダムを残したままの建設となった津軽ダム。東北の震災の影響もあり、
工期短縮のために新工法を導入したことで、より難易度は高まった。
そんな津軽ダムの建設において、現場の工事1課の課長として堤体打設を担当した
碓井猛司(首都圏土木支店土木部工事部長)に、当時の工事の様子や印象などを聞いた。
大きなプレッシャーの中で挑んだ現場
私は2011年の震災後から、ダムの堤体が完成する2015年まで建設工事に携わっていました。最初は係長でしたが、すぐに工事一課の課長となりました。私が30代後半の課長で、その下が30代前半の係長、そして20代のメンバーといった体制です。みんなすごく若くて経験はありませんでしたけれど、その分、勢いがありましたね。正直、その勢いに助けられたところもありました。
個人的には、それ以前にもいくつかのダムを担当しましたが、当時は主任クラスです。課長という立場では初めてですし、規模もそれまでで最大でした。ですから、当時はプレッシャーがものすごく大きかったですね。現場を離れたいと思うこともありました。でも、工事1課には若手職員が20人くらいいましたし、協力会社をあわせると100人くらいの人が関わっていましたから、自分を信頼してくれた人たちを放っておいて現場を離れるなんてことはできませんでした。この現場で、忍耐力やコミュニケーション能力、責任感など、多くのものを学びました。
旧・目屋ダムの機能を維持しながら、60m下流に新しいダムをつくる
津軽ダムが大変だったのは、古い目屋ダムを残したまま、わずか60m下流に新しい津軽ダムをつくるという点です。
水を流すというダムの機能を維持しながらの施工となり、工程も多く、複雑になります。当時では、こうした工事は非常に珍しいものでした。また、震災によって工期の短縮も求められました。品質を落とさずに施工スピードを最大限に高めることが求められたのです。
そこで採用されたのが「巡航RCD工法」です。最大の難点は施工の高速化です。コンクリートの打設のタイミングが従来とは、まったく異なっていました。スピードが速いため、24時間体制での対応が求められました。夜中の打設前検査は当たり前で、明け方の3時、4時に検査する事もあり、精神的だけでなく体力的にも大変な時期でした。
目屋ダムから津軽ダムへ、時代を越えてつなぐ
嬉しかったのは、つくっていたダムが少しずつ高さを増してゆき、ある日、ずっと目標にしていた目屋ダムと高さが並んだときですね。“ああ、ここまで来たんだ!”と。1960年に完成した目屋ダムの建造も安藤ハザマ(旧・間組)の仕事でしたし、2016年に完成した新しい津軽ダムも同じ安藤ハザマの仕事です。まさに、時代を越えて“津軽の社会を支える仕事”が、ここにつながったのではないでしょうか。先人の築いたダムに肩を並べ、そして超えてゆくことの実感が感動を生んだと思います。
完成したときは、嬉しいというより「工期に間に合った」という安堵感でいっぱいでした。
振り返ってみれば、津軽ダムの経験は、私の仕事人生の中では断トツに大きな存在ですね。完成後のしばらくは大変だったことばかり思い出していましたが、今となっては「あの現場を経験できて本当に良かった」と思います。
当時の私は、頭でわかったつもりになることが多くて、当時の上村副所長にいろいろと教わりました。実際に、自分の手でやってみないとわからないことが多いんです。また、自分でやれば忘れることもありません。泥臭いかもしれませんが、手を動かす。そして、細かいところが大事であるということを体験すべきでしょう。
最近は新しいダムの建設が減ってしまっていますが、個人的には、ダム建設の技術が、多くの若い人に継承されることを祈っています。
岩木川ダム統合管理事務所からのメッセージ
河川やダムの整備が進み、中小規模の洪水や多少の渇水が発生しても大きな被害や不便を感じることは少なくなりました。そのため、ダムの役割や重要性が見えにくくなっていると感じています。
それでも実際に現地へ足を運び、説明をお聞きいただくと、多くの皆さまから「とても勉強になった」との感想をいただきます。そのような声を聞くたびに、ダムへの理解を深めていただけたことを大変うれしく感じています。
津軽ダムでは、四季折々の景色とともに、見学会や水陸両用バス、ライトアップなど、季節ごとにさまざまなイベントを実施しています。ぜひ一度、津軽ダムへお越しください。
岩木川ダム統合管理事務所
調査課 広報担当
毛内 辰太朗さん
問い合わせ先:国土交通省 東北地方整備局 岩木川ダム統合管理事務所 調査課
TEL:0172-85-3031
URL:https://www.thr.mlit.go.jp/iwakito/
【工事概要】
| 工事名 | 津軽ダム本体建設工事 |
|---|---|
| 発注者 | 国土交通省東北地方整備局 |
| 工期 | 2008年11月~2016年10月 |
青森・津軽周遊グルメドライブ紀行
日本各地の優れた食と安藤ハザマの仕事をグルメドライブでつなぐ。
手がけてきた施工実績は人々に親しまれながら、地域の暮らしとともに時を重ねていく。
1978年創刊の自動車情報誌『CAR and DRIVER(カー・アンド・ドライバー)』とともに、
その周辺エリアで楽しめる絶品グルメや立ち寄りスポットを巡るドライブプランを紹介しよう。

(自動車誌『CAR and DRIVER』
人生に彩りと活力を与えてくれるのが旅だ。
青々とした美しい森がもたらす恵みを味わう
津軽に行くなら、県名の由来となった青々とした美しい森の恵みを味わいたい。そこで今回注目してきた食材は当地のジビエである。弘前市の土手町商店街にあるイタリアンレストラン[Il Filo(イルフィーロ) ]では、猟師でもあるシェフお手製のジビエ料理と生ハム&サラミが楽しめる。ここのコース7~9品のうち半数以上に、ジビエが使われる。野性味あふれる地元イタリアンを堪能しよう。
Pick up
弘前市内のイタリアンレストラン[Il Filo(イルフィーロ)]。オーナーシェフ林隆寛さんは猟師でもあり、自身が撃った鴨などを使うジビエ料理と自家製生ハム&サラミが人気。[お任せフルコース](1万2500円+テーブルチャージ500円)ではジビエがふんだんに使われている
また、森や山が生み出す水の豊富な津軽は酒造も盛んだ。そんな酒造のひとつである[松緑酒蔵]では、津軽のランドマークである岩木山の伏流水を使うスペシャリティコーヒーを提供する。上質なコーヒーを楽しみながら、土産に日本酒を選ぶのもいいだろう。
リンゴを特産とする青森の弘前市は、アップルパイの街でもある。数十ある店のなかで本誌のいち推しは、老舗の[ボンジュール]。地元産のリンゴそのものの酸味と甘みを生かす味わいと、サクサクとした生地の食感は絶品。旅の思い出に強く残ることだろう。
Pick up
日本酒[六根]で有名な弘前の[松緑酒造]が、2024年に酒蔵の一角に直販所兼カフェをオープン。古い中庭を眺めながら[仕込水で淹れた珈琲](880円)と[仕込水で淹れた紅茶](660円)が楽しめる
弘前の街にはアップルパイを扱う店が40軒以上ある。50年以上続く老舗の[ボンジュール]の「アップルパイ」(450円)は、シナモンを使っていないのが特徴。生地がサクサクで中がジューシー
美しい森林を求めて世界自然遺産の白神山地をドライブするなら、休憩は地元スイーツも充実する道の駅[津軽白神ビーチにしめや]が便利だ。宿泊なら、岩木山を望む[アソベの森いわき荘]へ。森を身近に地元の食材を使った料理が楽しめる。
Pick up
道の駅[津軽白神ビーチにしめや]には、カフェやレストラン、モンベルなどのショップが揃っている。「Befavoバニラソフトクリーム」(450円)は、地元のはちみつをたっぷりトッピングできる
岩木山の山麓にある、[アソベの森いわき荘]。館内レストランをはじめ、古民家を再生した食事処や青森ひばの大浴場・露天風呂温泉など、設備が充実。通常の客室のほかロッジも用意されている
雄大な岩木山を身近に感じながら山麓をドライブする
津軽を訪れる人たちの誰もが感じるのは、弘前市の西にそびえる岩木山の存在感の大きさだ。標高1625mの優美な火山で、津軽富士とも呼ばれる。津軽をドライブするのであれば、この山をつづら折りに上る津軽岩木スカイラインにハンドルを切ることをおすすめする。青森の木々の美しさ、日本海から北海道まで望める景色の良さ、そして運転の楽しさを満喫できるからだ。
津軽の自然を身近に感じたいなら、津軽の西部にある[白神山地]へ向かうといい。東アジア最大級の原生的なブナの森であり、1993年に世界自然遺産に登録され、トレッキング好きの人気スポットとなっている。まずは、入場無料の[白神山地ビジターセンター]で周辺の魅力を把握しておこう。また、向かいにある[道の駅津軽白神ビーチにしめや]からスタートする水陸両用バスの“ニシメヤ・ダムレイクツアー”なら、手軽に森と湖の両方を楽しむことができる。旅のアクセントになること間違いなしのアクティビティだ。
太宰治は『津軽』の中で「津軽富士と呼ばれている一千六百二十五メートルの岩木山が、満目の水田の尽きるところに、ふわりと浮んでいる。実際、軽く浮んでいる感じなのである」と書いた。
Pick up
[津軽岩木スカイライン]は岩木山8合目までを上る有料自動車道(普通車2000円)。全長9.8㎞に69ものカーブが待ち構える。8合目駐車場からは北海道が眺望できる
東アジア最大級の原生に近いブナの森が広がる世界自然遺産・白神山地。その美しい森を案内するのが[白神山地ビジターセンター](無料)だ。VR体験や映像、展示が楽しめる
水陸両用バスで津軽ダムの湖を豪快にクルージングするのが[ニシメヤ・ダムレイクツアー](所要時間約60分・大人3000円)。道の駅津軽白神ビーチにしめやから出発する
また、弘前市内も見どころは多い。桜で有名な[弘前城]だけでなく、市内には戦火を逃れたレトロな建造物が数多く残っている。自然だけでなく、歴史と文化の香り高いのも弘前の魅力のひとつ。
クルマを停めて、[弘前れんが倉庫美術館]などを散策するのも豊かで楽しい時間の使い方となることだろう。
時間的な余裕があれば、弘前市の北にある五所川原市の太宰治記念館[斜陽館]に足を伸ばしてみるといい。岩木山を左手に眺めながら北上すれば1時間ほどの距離。津軽が生んだ文学界のスーパースターの生家をたずねるのも、津軽のドライブ旅の目的の一つになるのではないだろうか。
雄大で美しい青森の自然を身近に感じ、津軽の歴史と文化に触れる旅。“ねぶた”で有名な青森ではあるけれど、それ以外でも魅力はたっぷりある。その魅力を満喫するためにも、お気に入りのクルマを相棒としたドライブ旅をおすすめしたいエリアである。
Pick up
[弘前れんが倉庫美術館]は約100年前に建てられ、シードル(リンゴ酒)工場にも使われていた。現在は美術館として、弘前の地域性を生かした情報発信を展開している
津軽が生んだ偉人の生家であり、今なお聖地巡礼の地として人気なのが太宰治記念館[斜陽館](一般600円)。旅館にも使われた館内に、数多くの資料が展示されている
Drive MAP
津軽のドライブは弘前市内と、西にある岩木山、その南の白神山地の3つに囲まれたエリアを走ることになる。弘前市内こそ時間帯によって交通量が多いときもあるが、その周辺の道路は快適に走ることができるエリアである。
【青森~津軽】
Ⓑ[斜陽館]は、弘前の北側に広がる五所川原市にある。弘前市から向かうと、クルマで1時間弱ほどかかる
Ⓒ弘前市内、弘南鉄道大鰐線・中央弘前駅の近くにある[弘前れんが倉庫美術館]。駐車は周辺の有料パーキングを利用する
Ⓓ弘前市内の歴史ある土手町商店街にあるイタリアンの[Il Filo(イルフィーロ)]。商店街には安価な有料駐車場が数多く存在する
Ⓔ老舗のアップルパイのお店、[ボンジュール]は、JR弘前駅の東側。店の横から裏手に無料駐車場が用意されている
Ⓕ[松緑酒造]は弘前市内の北西、岩木川の手前にある。酒造の隣に専用の駐車場があるので、そこにクルマを停めてカフェに立ち寄ろう
Ⓖ岩木山の南山麓にある、[アソベの森いわき荘]。宿の上には、登山コースがあり、冬場はスキー場もオープンする
【津軽~青森】
Ⓑ[津軽岩木スカイライン]は、岩木山を西側から上る有料道路だ。8合目から展望リフトを使って手軽に9合目まで上がれる
Ⓒ白神山地の入り口にあるのが[津軽ダム]だ。事前に申し込みをしておけば、誰でも無料で見学ツアーに参加できる
Ⓓ[白神山地ビジターセンター]は、弘前市中心部から岩木川沿いに西に向かい、クルマで30分ほどで到着する
Ⓔ売店や食事処のある道の駅[津軽白神ビーチにしめや]は、水陸両用バスの“ニシメヤ・ダムレイクツアー”の出発地となる
問い合わせ先・取材協力/【青森~津軽】 Ⓑ太宰治記念館「斜陽館」/☎0173-54-1616 Ⓒ弘前れんが倉庫美術館/☎0172-32-8950 ⒹIl Filo(イルフィーロ)/☎0172-55-9979 Ⓔボンジュール弘前城東本店/☎0172-88-7557 Ⓕ松緑酒造/☎︎0172-34-2233 Ⓖアソベの森 いわき荘/☎0172-83-2855 【津軽~青森】 Ⓑ津軽岩木スカイライン/☎0172-83-2314 Ⓒ津軽ダム/☎0172-85-3005 Ⓓ白神山地ビジターセンター/☎0172-85-2810 Ⓔ道の駅「津軽白神」ビーチにしめや/☎0172-85-2855、ニシメヤ・ダムレイクツアー(津軽白神ツアー)/☎0172-85-3315
【コンテンツ提供】CAR and DRIVER(株式会社カー・アンド・ドライバー)
※ このページは2026年7月時点の情報を元に構成しています。