熊本の復興を間近に感じる
熊本城特別見学通路
2016年の熊本地震で甚大な被害を受けた熊本城。その復興の工程を間近に見てもらうため、
2020年に安藤ハザマJVによってつくられたのが、熊本城特別見学通路だ。
復旧という貴重な瞬間を市民や観光客に見てもらい、文化財の価値向上につなげる趣旨で設置された。
文化財と共存する珍しい仮設構造物である。
復興を学び、
人々の記憶に残すための存在
2016年4月に発生した熊本地震で、熊本城は甚大な被害を受けた。その復旧には「文化財的な価値を損なわない丁寧な復旧」などの方針が示された。その結果、完全な復旧には30年以上の歳月が必要と見積もられた。
しかし一方で、熊本城は震災前には毎年170万人以上が訪れていた観光都市・熊本の重要な観光資源であり、地元の人々にとっては心の拠り所の一つであるとも言えるシンボルでもある。30年以上先の完成まで非公開としておくことは、地元の経済的視点からも、地元の人々の心情的観点からも現実的ではない。そのため、復旧過程を段階的に公開するという方針が示された。
その方策の一つとして、2020年に安藤ハザマJVによってつくられたのが、熊本城特別見学通路である。西櫓御門から、飯田丸、東竹の丸を経由して天守閣のある本丸までをつなぐ、全長341m、高さ6mの空中回廊である。
この回廊を歩くと、熊本城の被害状況や復旧の過程を目のあたりすることができる。つまり熊本城特別見学通路は、観光客だけでなく市民や子どもたちが復興を学ぶ場となり、被災した熊本城の“今”を共有し、訪れた人々に復興の記憶を残す存在となるのだ。
安全で快適な観覧と迅速な復旧工事の両立
文化財を守りながら公開するという前例の少ない取り組みを実現するためにつくられたのが熊本城特別見学通路だ。しかし、その設置は簡単ではない。そもそも城内は被災により石垣などが不安定な状態だ。
そうした中で、来場者が安全かつ快適に観覧できる見学路である必要がある。一方で、復旧事業の足を引っ張ることもできない。見学者と復旧工事車両ルートの錯綜を回避しなければならないのだ。つまり、見学路の建設には、工事の進捗と、見学者の安全で快適な導線という2つの両立が求められたのだ。また、景観や歴史的価値を損なわない設計・設置工事も必要とされた。
そして重要なのは、復旧工事の進行に合わせた対応も求められたことだ。そのため、熊本城特別見学通路は、計画25年目までの仮設構造物として計画され、復旧の進行にあわせて撤去される予定となっている。こうした仮設構造物が、国が指定する特別史跡内への設置を認められたのは前例がない。それだけ熊本城特別見学通路は特別な存在と言える。
通路からは工事の様子が
復興の過程を未来に伝える通路
熊本城特別見学通路は、単なる仮設通路ではない。そこには、復興の姿を隠さずに伝えていくという、熊本の意思が込められている。
損傷した石垣も組み直されていく過程も、いまこの瞬間の熊本城の姿である。
完成した姿だけを見せるのではなく、その途中にある時間までも共有する。それは震災の記憶を風化させないためであり、再生へ向かう歩みを未来へとつないでいくためでもある。
文化財の復旧には、長い年月が必要となる。だからこそ、その時間を閉ざすのではなく、次の世代へと手渡していく。熊本城特別見学通路は、復興の過程そのものを伝える場でもある。
そこに込められているのは、復興とともに歩むという地域の意思であり、災害と向き合う社会の姿でもある。
熊本城の歴史をつなぐ記憶の架け橋
熊本城特別見学通路
熊本城特別見学通路の工事を担当した、当時の作業所長の若林和之(現・四国支店建築部長)に、
工事の様子を振り返ってもらった。
そこにはどのような課題や工夫があり、どのような思いがあったのだろうか。
難攻不落の名城ならではの困難の数々
文化財保護地域の中での仕事は、初めての経験でした。
最大の課題は、その文化財という部分にありました。工事現場自体が文化財保護地域なので、遺構を保護しなければなりません。ですから、地面も掘り起こせないですし、樹木の伐採も最低限にする必要があったのです。通常の工事では当たり前のことができなかったんです。
また、お城好きの方々には有名なのですが、熊本城は加藤清正公が築いた難攻不落の城です。敵に攻め込まれないようにするために、入り口が少なく通路も狭くて曲がりくねっています。
そのため、建築資材などの搬入経路や搬入できる資材の大きさも限られてしまい、非常に困難な中での工事となりました。
3D計測や複雑な鉄骨構造……文化財保護地域ならではの工夫
この工事では、当時はしりの技術であった、3次元モデルのBIM(ビルディング・インフォメーション・モデリング)とレーザースキャナー、計測用ドローンなどを活用しました。これにより地面の高低差だけでなく、周囲の樹木の高さや枝ぶりも計測しました。
特別見学通路は、アーチ構造やリングガーダー構造、三角トラス構造など、複雑な鉄骨構造です。弓なりの形や三角形の組み合わせで力を分散させる仕組みで、構造的にはほとんど橋に近い構造物だと言えるでしょう。
これを、難攻不落の熊本城ならではの狭い通路でも運べるように、3m未満のパーツに分解して、運び入れ、現場で組み立てました。溶接跡がわからないように、組み立てた後に職人さんたちが現地で表面を丁寧に磨き上げ、その上から塗装しています。工事中は、仮設通路にそこまでこだわる必要があるのか? と自問自答しましたけれど、完成後の姿を見ると、そのこだわりが建築物としての品格を生んでいるのだなと実感できました。現地で頑張った甲斐があったと思います。
ちなみに、見学通路は杭を打っているわけではなく、地面に置いた土台の上に立っています。文化財保護地域なので地面を掘れないからです。通路が曲がっている部分は、1本足で自立できるリングガーダー構造です。しっかりと設計されているので1本足でも倒れません。
地元の方からの「ありがとう」
・見学者の喜ぶ姿
以前、東日本大震災の復興支援を行っており、熊本の2016年の地震に対しても支援を行っており、個人的には熊本の復興事業にも携わりたいという強い思いがありました。そういう意味で、この工事は非常にやりがいのあるものでした。
私は元々大阪に住んでいたのですが、工事の間は熊本城の近くに住んでいました。近所のお店にご飯を食べに行き、仕事のことを話すと「ありがとう」と言ってくださるんですね。その言葉を本当にうれしく思いましたし、日々の支えにもなりました。
完成後、地元のみなさんをお招きしてお披露目会をしたんです。そこで通路を見学した方々、お子さんから高齢者、車椅子の方までが、「うわ、すごいね」と喜んでいる姿を間近で見たときは、なんとも言えない感動がありました。この特別見学通路があることで、みなさんに復興の歴史を記憶にとどめてもらうことができます。
この特別見学通路は、単なる仮設構造物ではなく、熊本城の400年を超える長い長い歴史の中で、復興までの、わずか20年をつなぐ“記憶の架け橋”なんですね。そう考えると、この仕事に携われたことを非常に誇りに思います。
【工事概要】
| 工事名 | 熊本城特別見学通路 |
|---|---|
| 発注者 | 熊本市 |
| 工期 | 2019年3月~2020年3月 |
阿蘇と熊本を再びつなぐ復興のシンボル
国道57号 二重峠トンネル(阿蘇工区)
熊本地震により、県西部の熊本市と県中央部の阿蘇地区の大動脈となる国道57号が
大規模な斜面崩壊により通行不能となった。その対策として急遽計画されたのが北側復旧ルートだ。
その新ルート開通の難所となったのが二重峠トンネルであった。トンネル開通による復興の様子を紹介する。
阿蘇の日常を取り戻し、
経済再生にも寄与する新ルート
2016年の熊本地震により熊本市と阿蘇地域を結ぶ、生活・物流の大動脈となる国道57号が通行不能となった。幅200m、長さ700mにわたって道路わきの山が斜面崩壊して、道路と橋に壊滅的な被害を与えたのだ。
その代替のため用意されたのが、ミルクロードと呼ばれた峠道だ。しかし、峠道ということもあり、従来の国道57号を使うよりも倍近い時間が必要となり、慢性的に渋滞するようになってしまった。
そこで計画されたのが北側復旧ルートであった。これは国道57号よりも北側に新しい道を切り開くというもの。阿蘇の外輪山である二重峠に約3.7kmのトンネルを穿つ、全長約13kmの新ルートとなる。災害時の代替路として、地域の安全を支えるだけでなく観光回復にも活用されることで、地域経済の再生にも寄与する。もちろん、地元住民にとっては、“日常を取り戻す道”そのものである。
早期開通のために新方式導入で
工期を短縮
北側復旧ルートが定められたのは、国道57号の北側だ。そこは阿蘇の外輪山の一部で、二重峠と呼ばれ細い峠道が走るだけであった。火山地帯のため地質は脆弱で湧水も多い場所だ。そのうえ災害復旧を目的とするため、早期での開通が求められた。また、自然環境への影響も最小限に抑える必要がある。
そこで採用されたのが、国内のトンネル工事では初となる施工会社が設計段階から参画する発注方式のECI(アーリー・コントラクター・インボルブメント)方式だ。
通常、この規模の工事では設計と施工をそれぞれの会社で行う。しかしECI方式では、施工者が設計段階から参画することにより、より精度の高い設計や見積もりを短期間で作成できるのが特徴だ。設計会社と施工会社の連携が強化されることで、より早くより少ない予算でプロジェクトを進めることが可能となる。
今回の二重峠トンネルの場合は、ECI方式を採用することで、着工までの期日を半年以上も短縮することに成功している。
苦難を乗り越え、
新たなインフラとして未来へつなぐ
早期開通を目指した二重峠トンネルでは、安藤ハザマの持つノウハウが積極的に投入されている。そのひとつが、避難坑を先に通し、そこから本坑にアクセスして、内部3箇所から同時に掘削を実施するという手法だ。また、強度の高いコンクリートやボルトを使用してのトンネル構造のスリム化、高性能大型機械の採用なども工期短縮に貢献した。
一方で、掘削中に地中の大空洞の出現や、大量の湧水などによる遅れも発生した。それでも、昼夜3交代4班体制を実施し、協力会社をはじめ多くの関係者の協力のもと、貫通までは2017年3月のトンネル着工からわずか18か月、完成は通常36か月かかるところ28か月で成し遂げ、北側復旧ルートは2020年10月に開通した。
これにより、ミルクロード入口から阿蘇西ICまでの通行時間は、被災前で約24分、迂回路のミルクロード経由では約43分もかかっていたところ、北側復旧ルートでは約10分にまで短縮されたのだ。
阿蘇地区に住む人々や、阿蘇観光に向かう人たちにとって、大きな安心と利便性をもたらす道となった。また、今回の案件は災害復興のインフラ整備の知見として、今後に活かされることだろう。
復興のシンボルであり、
苦難を乗り越えた象徴
阿蘇の古い神話には、二重峠にまつわる話が残っている。
かつて巨大な湖であった阿蘇カルデラの壁を、健磐龍命(たけいわたつのみこと)という神様が蹴破ろうとしたことがあった。ところが壁は二重になっていて、神様でさえも蹴破ることができなかったというのだ。それが二重峠があった場所だという。つまり、それだけ二重峠は難所であると、昔から認識されていたのだ。
そんな難所に震災復興としてつくられた、北側復旧ルートと二重峠トンネルの存在は、地元の人々にとって大切なものとなったのだろう。
阿蘇の火口を望む阿蘇火山博物館には、トンネル貫通時の石が「貫通石」として、「合格祈願」の札と共に展示されている。付近の住民が石を「難所を貫通した」=「思いが通じた」として飾っているという。工事関係者と地域住民の思いの象徴的存在であり、復興の節目を示す存在と言えるだろう。
復興への強い思いを背負って進めた
国道57号 二重峠トンネル(阿蘇工区)
二重峠トンネル(阿蘇工区)工事に副所長として携わった黒田二郎(現・執行役員 九州支店長)に、
当時、現場で何が起き、どのような思いで向き合っていたのかを振り返ってもらった。
日本初のトンネルECI方式の採用
このプロジェクトは、熊本地震が起き、阿蘇大橋付近で通行止めとなった国道57号線を早急に復旧・開通しなければならない状況の中で着手されました。個人的には、震災復興ということもあり、インフラに携わる技術者として「何が何でもやるぞ」という強い気持ちでいっぱいでした。
日本初となるトンネル工事におけるECI方式の採用については、「うれしく思った」というのが正直なところです。弊社が持つ技術的な知見を設計段階から提案できるため、非常にやりがいがあり、トンネル屋として今まで培ってきた経験を基に取り組むことができる機会だと感じていました。
今回のECI方式では、震災復興としてトンネルの早期完成を求められており、特殊な掘削方式を検討し提案しました。具体的には、避難坑を先行して掘削しながら、その途中から横坑をつくって本坑に分岐し、本坑の掘削個所を3箇所に増やす工法でした。本坑の掘削箇所を増やすことで工事のスピードアップを追求する計画です。阿蘇の方々が不便を強いられている状況を、一刻も早く解決したいという思いで、可能な限りの工期短縮を目指しました。
地元の皆さまのあたたかいご協力と復興への使命感に支えられた現場
1本のトンネルを、避難坑を介して3箇所から同時に掘るという経験は我々にもなく、最初は不安もありました。また、実際に工事を始めると、1分間当たり10tもの大量の湧水が発生したり、約6,000㎥の巨大な空洞がトンネル直上に出現したりするなど、数々の困難に遭遇しました。
それでも、現場の仲間は震災の爪痕を肌で感じていたこともあり、全員が使命感に燃えていたと思います。少しでも早く進めるため、通常2交代のところを24時間3交代制で、現場を止めることなく作業を進めました。休日も交代制でしたが、責任の重さから休日でも休んだ気にならないほどでした。
印象に残っているのは、地元の皆さまがとても協力的に接してくださったことです。今回のトンネル工事では、掘削した膨大な土砂を仮置きする場所を確保しなければなりませんでした。その場所として、地元の農家の皆様にとって大切な農地を快く貸していただき、本当に助けていただきました。
震災復興の大きな一翼を担えたという誇り
私が現場に立ったのは施工開始から1年ほどでした。その後は、九州支店の土木部長として後方から支援していました。それでも、貫通した瞬間は本当にうれしかったですね。
貫通式では、それまでの苦労が思い出されましたし、トンネル屋にとって貫通式は一緒に働いた仲間がバラバラになる“別れの場”でもあります。そうした思いも重なり、感極まって涙したことを覚えています。
このプロジェクトを振り返って思うのは、 震災復興の大きな一翼を担えたということです。これは土木技術者として誇りに感じています。
インフラを通じて社会に役立つという土木の存在意義を、今回は特に強く実感できました。発注者、コンサルタント、協力会社、地元の方々、全員が「一刻も早く開通させたい」という思いで動いていた現場でした。
【工事概要】
| 工事名 | 国道57号 二重峠トンネル(阿蘇工区) |
|---|---|
| 発注者 | 国土交通省九州地方整備局 |
| 工期 | 2017年3月~2020年7月 |
市民の誇りを守り続ける
加藤清正公大銅像
熊本城をつくった加藤清正は、熊本の人々にとって熊本を象徴する存在であり、誇りとなる人物だ。
そんな加藤清正の墓所となるのが市中心街の北西にある本妙寺であり、その寺の上手には加藤清正公大銅像が屹立している。
その銅像と安藤ハザマには深いかかわりがある。
熊本市民にとって神にも等しい存在
加藤清正は、今の熊本市の基礎を築いた人物として地元の誇りとなる存在だ。
豊臣秀吉の子飼いの家臣として活躍した加藤清正は、1588年に肥後北半国の領主として隈本城(古城)に入り、1607年に現在の熊本城を完成させる。
長引いた戦乱で荒れた肥後を立て直すため、治山治水、水田開発に力を入れ、南蛮貿易に取り組んだ。その結果、肥後は豊かな国となり、清正は領民から神のように崇められるようになった。今でも、熊本の人々は「清正公(せいしょこ)さん」と親しみを持って呼んでいるという。
没後350年を機に、安藤ハザマの寄進で復元
そんな清正公をかたどった銅像が、熊本市にはあちこちに飾られている。しかし、その中でも、安藤ハザマと関係性の深いものが、清正公の墓所となる本妙寺にある加藤清正公大銅像だろう。
本妙寺がある中尾山の八合目付近、その展望スペースに像は飾られており、眼下に熊本市を一望することができる。晴れた日であれば、阿蘇山系まで眺望できるのだ。自らがつくった熊本の街を見守るように立つ像である。
この加藤清正公大銅像は、1935年に没後325年の記念事業として製作されたが、戦中の金属供出で撤去されてしまう。しかし、清正公が築城した名古屋城を安藤ハザマ(当時:間組)が再建したことを縁に、当時の神部社長が像を再寄進。没後350年を機に復元されたのであった。ちなみに寄進は神部社長が「清正公に深く帰依敬慕」していたのが理由と、銅像の土台には刻まれている。
2016年の震災で銅像も被災
そんな加藤清正公大銅像も、2016年の熊本地震では被害にあっている。清正の象徴でもある片鎌槍(十字の片方が短い槍)が、折れてしまったのだ。
青銅でできた槍が折れてしまうとは、よほど大きな揺れであったのだろう。この地震で本妙寺では、仁王門の破損や石灯籠の倒壊などの被害も出ている。しかし、今回の清正像の災難も安藤ハザマにより迅速に無償で修理されている。また、安藤ハザマの役職員による義援金寄贈も行われた。
次世代へ受け継がれる地域の象徴を守ることは、企業としての社会的な責務の一つ。安藤ハザマは熊本の人々と共に、熊本を支える存在となっているのだ。
九州唯一の国際規格のサーキット
オートポリス
阿蘇の外輪山の山間にあるサーキットがオートポリスだ。
1990年に安藤ハザマ(当時:間組)の手によってつくられた、九州で唯一の国際規格のサーキットである。
現在でもレースなどのクルマ関連のイベントが数多く開催されており、
観光や経済といった面で地域へ活力を与える存在となっている。
九州のモータースポーツを支える拠点
オートポリスは国際規格のサーキットで、F1開催を目指して建設され、今も国内最高峰のスーパーフォーミュラのレースが行われている。
コースは全長4,674mあり、メインストレートは902m。すべてのコーナーのR(半径)が異なっており、高低差が52mある非常にテクニカルなコースだ。ユニークなのは、他のサーキットではコースの内側にあるピットが、コースの外側にあるという点。
メインストレートをコース内側から眺めることができるのも他にない特徴となる。最終コーナー脇のファイナルスタンドは、スタジアムタイプとなっており、コースをほぼ全域にわたって眺めることができる。
国内屈指の本格的なサーキットとして、九州のモータースポーツ文化を支える拠点となっている。
困難を伴った1年半の突貫作業
オートポリスの工期は、1989年2月から約1年半であった。このエリアは、年間5,000mmという平地の約1.5倍の降雨量があり、作業稼働率の低さに苦しめられた。また、冬場は日中でマイナス7度、夜はマイナス13度にまで冷えてしまうほど寒さの厳しいところであった。
さらに市街地から遠く離れた山間部であったため、資材・機材の搬入が30~60kmもの長距離になったのも苦労の一つだった。
それでも1年半の工期の中、400万㎥の土を動かすという大工事を苦労の末、無事完成させることができた。
通常は、土木工事が終わってから建築に取り掛かるところ、この現場では、土木と建築のスタッフが一丸となって工事を進めた。それが厳しい工期をクリアできた理由のひとつだ。オートポリスは安藤ハザマにとって非常に縁の深い場所でもある。
モータースポーツを観て、体験する場
現在、オートポリスでは、スーパーフォーミュラやスーパーGT、スーパー耐久、D1グランプリなどの国内トップカテゴリーの人気レースが開催されている。
レースの迫力は、ネットなどの画面越しで見るだけでなく、現場に赴くことで、より強く感じることができる。そうした場が九州にあることは、九州のモータースポーツ文化の醸成にとって非常に重要なところだろう。またオートポリスでは、自身が運転する体験型のプログラムも数多く用意している。
どんなスポーツも観るだけでなく、自分の身で体験することで、より楽しみも理解できるもの。モータースポーツも同様であり、そうした体験の場を提供してくれる存在としてもオートポリスは希少な存在と言える。
【工事概要】
| 工事名称 | オートポリス建設工事 |
|---|---|
| 発注者 | 日本トライトラスト(施工当時) |
| 工期 | 1989年7月~1990年10月 |
熊本周遊グルメドライブ紀行
日本各地の優れた食と安藤ハザマの仕事をグルメドライブでつなぐ。
手がけてきた施工実績は人々に親しまれながら、地域の暮らしとともに時を重ねていく。
1978年創刊の自動車情報誌『CAR and DRIVER(カー・アンド・ドライバー)』とともに、
その周辺エリアで楽しめる絶品グルメや立ち寄りスポットを巡るドライブプランを紹介しよう。

ニッポンには、素晴らしい自然と優れた食が溢れている。ニッポンの優れた食を求め、
風に誘われて旅に出れば、あなたの人生は一段と豊かなものとなるだろう。
今回の旅は九州・熊本。火の国ならではのドライブ・プランを披露しよう。
熊本の自然が生み出した滋味あふれる食の恵み
熊本のご当地グルメで最上クラスの郷土食といえば、だご汁とたかなめしが真っ先に挙げられる。訪れたのは山賊旅路、熊本と阿蘇を結ぶ国道57号沿いに56年も続く老舗の食事処である。 “だご”は団子のことで、小麦粉を水で練ったもの。これを季節の野菜と共に味噌や醤油仕立てでいただく。「昔は自分の畑で作った小麦を使っていたよ」と店主がおっしゃるように、熊本で広く食される家庭の味でもある。山賊旅路のだご汁は、野菜を少なめにして自家製ブレンドの味噌の汁と具材の味を引き立てる。刻んだ高菜をご飯と混ぜた郷土料理たかなめしにはゴマをプラスして独特の風味を生み出す。
Pick up
店を切り盛りする店主の永野博吉さんと慶子さん。
「山賊が出るほど人通りが少なかった」のが店名の由来だとか。定番のだご汁とたかなめしだけでなく、希少な部位を使った焼きたてスタミナホルモン(900円)や山賊めし(600円)も人気
太平燕(タイピーエン)も熊本ならではの食のひとつ。春雨を使った具だくさんの中華スープで、明治頃に中国福建省から熊本に伝わり、現在では学校給食としてもお馴染みとか。食するなら熊本市内にある紅蘭亭がいい。深く優しい味に癒される。また、阿蘇で試したいスイーツが、米粉の団子を冷やす、かんざらし。素朴な甘さがドライブで凝った身体と心をほぐしてくれる。
Pick up
紅蘭亭は元祖・太平燕(タイピーエン)の店のひとつといわれる。1934年創業の中国料理店。九州の食材を中心にした中国料理を定食、コース、ビュッフェなどで提供している
かんざらしの店 結。阿蘇の湧水で冷やしたかんざらしや天然水ソーダなどが味わえる。レトロな店の雰囲気も人気の理由のひとつ
熊本には、あか牛や阿蘇高原コシヒカリ、阿部牧場ミルクなど、自慢の食材が数多くある。そんな食材を提供する宿が阿蘇内牧温泉 蘇山郷(そざんきょう)だ。阿蘇の贅沢が、まとめて楽しめる。
Pick up
阿蘇内牧温泉 蘇山郷は、素晴らしい食事や温泉、景観といった阿蘇の恵みを満喫できる宿。阿蘇で育てられたあか牛や、地元の新鮮な野菜、お米、阿部牧場の牛乳など、熊本自慢の食材を使った夕食と朝食は、見逃せない大きな魅力だ
熊本観光のメインディッシュは熊本城と阿蘇山
熊本城の中に入るとそこには驚くほど展示内容が凝っており、付帯施設も充実している。そのため観光は、あえて天守閣は後回しにするといい。まずは城の手前にある、桜の馬場 城彩苑に向かおう。
そこの熊本城ミュージアムわくわく座で、予習をしてから登城しよう。この城彩苑には、食事処とお土産店が並ぶ、桜の小路もある。熊本城見学の後に戻ってきて、お土産探しとともに阿蘇グルメが堪能できる。こうして、行きと帰りで二度楽しむのがお勧めだ。
Pick up
桜の馬場 城彩苑
熊本城の足元にある桜の馬場城彩苑。食事処やお土産店が並ぶ、桜の小路や、熊本城関連情報を発信する熊本城ミュージアムわくわく座などがある
桜の小路
桜の小路では香梅庵の陣太鼓ソフト(テイクアウト540円)や、天草海まるのうにコロッケ(300円)、山うにとうふのかりふわ蒲焼(450円)などが楽しめる
市内観光が終われば、ハンドルを握って国道57号を東進し、阿蘇山へ向かおう。阿蘇山は南北約25㎞、東西約18㎞、周囲約120㎞もの巨大なカルデラを有する活火山である。カルデラ内には阿蘇市と南阿蘇村などがすっぽり入っており、約4万人が生活している。
カルデラ内から周囲を見渡せば、前後左右すべての視界に山がある。阿蘇でしか目にできない雄大な景色が楽しめる。
そんな阿蘇山で最初に目指すべきは草千里ヶ浜だろう。国道57号からワインディングを30分ほども上れば、もうもうと白煙を噴き上げる中岳を望む、草千里ヶ浜にたどり着く。広い駐車場には阿蘇火山博物館などの施設が並んでおり、阿蘇山を知り、感じることができる阿蘇山観光の代表的なスポットだ。また、阿蘇のカルデラをより多角的に感じたいというのであれば、阿蘇市の反対側にある外輪山の大観峰展望台を目的地に設定しよう。直下の阿蘇の街の向こうに、先ほどまでいた中岳を含む阿蘇五岳が望める。感動すること間違いなし。
雄大な熊本城と壮大な阿蘇山のカルデラという観光スポットに優食、そしてワインディング・ロードという、グルメドライブ旅を盛り上げるピースが見事に揃っている。すっかり熊本に魅せられたのはいうまでもない。
阿蘇山は、周囲約120㎞もの外輪山を有する世界有数のカルデラ火山だ。美しい景観と、気持ちいいドライブが楽しめるワインディングが続く。道路の周辺には牧場が広がっている
Pick up
中岳の火口を望む草千里ヶ浜の前には阿蘇火山博物館がある。写真の5面マルチシアターや大型のジオラマなどで阿蘇山の歴史と知識が学べる
Drive MAP
熊本市をスタートし、阿蘇の外輪山のワインディングを楽しみながら、熊本と阿蘇のグルメと見どころを巡る。熊本から阿蘇まではクルマで1時間ほどの距離。大分のオートポリスまで足を伸ばしても、小一時間のプラスで済む。
【熊本市内~阿蘇】
Ⓐ熊本市内の中心部にある熊本城。城の南側に大きな駐車場が用意されている
Ⓑ熊本城の南、桜の馬場 城彩苑にある桜の小路。食事処や土産店が並んでいる
Ⓑ桜の馬場城彩苑にある熊本城ミュージアムわくわく座。映像や演劇で熊本城を紹介
Ⓒ加藤清正(肥後国熊本藩藩主)をまつる本妙寺にそびえる清正公の銅像
Ⓓ阿蘇山の西にある菊池渓谷。原生林におおわれ、“渓谷美の極致”ともいわれている
Ⓔオートポリスは、57号線からミルクロード経由で1時間ほどの距離
Ⓕ大観峰は阿蘇五岳をはじめ、360度のパノラマの絶景が楽しめる大人気の展望スポット
Ⓖ上質な温泉と景観、阿蘇の食をまとめて堪能できる阿蘇内牧温泉 蘇山郷
【阿蘇~熊本市内】
Ⓑ阿蘇神社近くのかんざらしの店 結。店内に湧水が流れ、名物の甘味が味わえる
Ⓒ道の駅阿蘇は熊本県・道の駅ランキングでトップ人気の常連。市内の特産品が揃う
Ⓓ草千里ヶ浜正面にある阿蘇火山博物館。白煙たなびく中岳を目にすることができる
Ⓔ自家製味噌のだご汁が味わえる。国道57号沿いに56年続く、老舗の山賊旅路
Ⓕ震災後にバイパスとして急遽作られた二重峠トンネル。復興のシンボルと呼ばれている
Ⓖ紅蘭亭 下通本店は、熊本の味 太平燕(タイピーエン)の元祖の店のひとつ。
取材協力・問い合わせ先/【熊本市内~阿蘇】 Ⓑ桜の馬場 城彩苑(熊本城ミュージアム096-288-5600/桜の小路096-288-5577) Ⓒ本妙寺(加藤清正像)=096-354-1411 Ⓓ菊池渓谷、Ⓔオートポリス=0973-55-1111 Ⓕ大観峰=0967-32-1960(阿蘇市観光協会) Ⓖ阿蘇内牧温泉 蘇山郷=0967-32-0515 【阿蘇~熊本市内】 Ⓑかんざらしの店 結(ゆい)=0967-22-5488 Ⓓ阿蘇火山博物館=0967-34-2111 Ⓔ山賊旅路=0967-34-2011 Ⓖ紅蘭亭 下通本店=0963-52-7177
【コンテンツ提供】CAR and DRIVER(株式会社カー・アンド・ドライバー)
※ このページは2026年3月時点の情報を元に構成しています。