世界の発展にインフラで貢献せよ

北はチベットと接するヒマラヤ山脈、南はインドへとつながるネパール。
このプロジェクトの舞台となるネパールのインド国境沿いに広がるテライ平原は、同国の重要な農業地帯である。しかし首都カトマンズへの主要ルートは大きく迂回しており、雨季には地滑りでたびたび道路が閉鎖されるなど、経済活動が阻害されてきた。
そこでテライ平原の肥沃な農業生産地帯にあるバルバディスと、首都カトマンズ近郊のドゥリケルをつなぐ、全長約160kmの「シンズリ道路」が建設された。
この地に新たに計画されたシンズリ道路は、移動距離を半分近く短縮させるルートだ。防災面も確保し、安定した通商ルートとすることで、ネパールの経済活性化に寄与する。しかし、そこには2,000m超級の山々が連なるマハバラッド山脈が立ちはだかっていた。
ネパールの悲願を叶える道路建設、着工
ネパール連邦民主共和国は、南をインド、北を中国に挟まれた、東西900km、南北200km、面積15万km2の小国である。南北方向の標高差が8,700m以上もあり、また地殻変動も顕著なため、急峻な地形と複雑な地盤が特徴となっている。
ネパールは2008年の王制廃止を受け、連邦民主共和国として生まれ変わって以降、政治的課題に取り組みつつ、経済を支える各種インフラの整備を急いでいる。特に穀倉地帯と各都市のアクセスを改善する機関道路網の整備は、期待が高い反面、技術的・資源的な困難が多く、優先度の高い国家的課題であった。
実はネパールは、この道路建設を1982年に自国で行おうとした歴史を持つ。だが、険しい山々、たたきつけるような豪雨、もろく崩れやすい地盤という状況下での道路建設は、この国の技術力では至難の業であった。そこで、技術力の高い日本にこの工事を委ねることにしたのだ。日本の専門機関の現地調査などを経て、ネパールの悲願を受け取った安藤ハザマは、1996年に着工。歴史的なビッグプロジェクトの幕が開けた。
大自然に立ち向かい、最適解を模索
南部バルディバスと首都カトマンズ近郊のドゥリケルを最短距離で結ぶシンズリ道路建設は、地理的条件を踏まえて4工区に分けられ、第1工区、第4工区、第2工区、第3工区の順で工事が進められた。
第1工区 (バルディバス~シンズリバザール)
第1工区は、バルディバス(標高200m)を起点として、先カンブリア紀から第三紀に形成された堆積層群で構成される丘陵地帯を3つの川沿いに通過してシンズリバザール(標高500m)に至る。日本が供与した機材によりネパール政府が建設した37kmの未舗装道路に橋梁9カ所と17カ所の河床横断構造物(越流式コーズウェイ)を建設する計画とされた。
当然のことながら日本での工事とは状況が大きく異なる。そこには、熟練工もいなければ、作業所も宿泊施設もない。さらには運搬路もない状況で、現場に大型のクレーンやショベルを持ち込むことも困難であった。
そこで、現地の人々を作業員として雇用し、共同生活を送るキャンプを設営。工事においては、現地の石材を利用した人力中心の施工管理を行った。

第4工区 (ネパールトック~ドリケル)

ロシ川支流のナルケ渓谷に架けられた鋼製方杖ラーメン橋
続く第4工区では、ネパールトックからドリケル間の道路建設、橋梁・コーズウェイを設置した。当時はかろうじて車が通れる道路がドリケルから23kmまであったのみである。ドリケル周辺は急峻かつ小規模な地滑り地形が連続し、北向き斜面には多くの湧水箇所が点在しているため、計画段階でハザードマップを作成し、きめ細やかな擁壁及び排水施設の割付を行っている。
ロシ川沿いの工事では、天然資材の調達において地元住民との交渉が長期化したり、治安が安定しない状況から工事が一時中断したりと苦戦を強いられた。
さらに、完工予定目前には記録的な豪雨によるロシ川の氾濫により、完成した道路の一部において地滑りや盛土流出が発生し、甚大な被害を受けたが、それらを乗り越え、シンズリ道路南端のバルディバスから37kmに及ぶ第1工区、シンズリ道路北端のドゥリケルから50kmの道路を築く第4工区を約5年かけて完成させた。

国内の土木作業で培った技術がつなぐ、現地作業員との絆
第2工区 (シンズリバザール~クルコット)
テライ平原にある、シンズリバザールより標高差900m近くあるマハバラット山脈を越え、スンコシ川沿いのクルコットに至る延長36kmの区間である。

同工区は、豪雨地帯であるなど、自然災害を被るリスクの高い、厳しい自然環境にある山岳部。路線は斜面災害に対して比較的安全な狭い区域のなかで急激に標高を上げる必要から、51カ所に及ぶヘアピン・カーブが計画された。
また、過去の豪雨被災状況調査結果を参考に、斜面災害等の被災リスクの高い地域を避け、さらに森林の保全に配慮し森林伐採面積を少なくすることを目指した計画としている。
目のくらむような急峻な斜面に51カ所に及ぶヘアピンカーブを設置するため、1日1,000人を上回る現地作業員を動員して進めていった。
マハバラット山脈の南側斜面は、地盤の脆弱性に加えてインド側からの季節風の影響で、年間2,500mm以上の降水量がある。豪雨が引き起こした斜面崩壊により、幾度も工事を中断せざるを得なかった。これに対して、徹底した安全対策と教育のもと、ロープ1本で体を支えた現地作業員たちが斜面を自在に動きながら作業を行い、法面の対策工事を実施。また、ネパールでは初めての適用技術となるグラウンドアンカー、ロックボルトを使用した日本の斜面安定化工法も採用された。
アンカー工法においては、安全綱1本で体を支えながら斜面を自在に動き対策工事を進める職人集団の姿が「ニンジャ集団」と呼ばれるなど、その技術の高さが注目された。

アンカー施工を進める「ニンジャ集団」
この斜面対策工事を行った、地元企業の従業員は、「初めはあのようながけ地でロープ1本で作業するなど思いもしなかったが、日本人指導員の丁寧な指導で少しずつ要領を体得した。ネパールには多くの急ながけがあり、今後もこの技術を生かした仕事をしてみたい」と話す。
いずれも日本の土木技術が生かされた工事だ。数々の技術を現地作業員に引き継ぎながら、35.8kmの盤石な山越え道路を完成させた。谷最短の距離ではあるが、工事期間は9年と最長。それは、日本の技術を適用しても最難関工事と言わしめる厳しさを物語っている。

道路付替え工施工前/提供:国際協力機構(JICA)

道路付替え工施工後/提供:国際協力機構(JICA)
第3工区 (クルコット~ネパールトック)
ヒマラヤを源とするスンコシ川沿いの区間、延長約32kmが当初計画であったが、第2工区の未実施区間3.9kmと併せて、36.8kmがシンズリ道路最後の工事区間となった。

走行傾斜は変化に富み、段丘堆積物や崩積土の分布域も多く存在している。このため全線を通じて著しく複雑に変化した地形・地質条件であることから、防災上危険性のある地すべり等区域をできるだけ回避する路線計画としている。土工計画では、安定勾配で法面規模を極力短くし、不安定部は擁壁やのり枠等の構造物で安定度を高め、災害リスクの低減を図った。
第3工区は、経済的にも恵まれず開発の遅れた地域であったが、ピーク時には1日の作業員数が1,000人を超え、沿線地域の住民雇用による活性化に大きく寄与した。
工事範囲の拡大に応じて、沿線住民(特に学童)を対象に、一般的な交通安全とともに、工事に伴う危険に関して周知を行うなど、現地コミュニティ住民への積極的な説明を行った。

道路整備前の様子。既設排水が流出し、曲がりきれずスタックしたバス。/提供:国際協力機構(JICA)

道路整備前の様子。パイロット道路(工事用道路)がなく移動手段が徒歩に限定されている。/提供:国際協力機構(JICA)
安藤ハザマの高い技術力を結集した大プロジェクト
2015年3月、安藤ハザマの技術力を結集し現地の人々と共に歩んできた挑戦の結晶であるプロジェクトは、第3工区の完成をもって完了した。数々の困難を乗り越えた20年にもわたる大プロジェクトとなった。
全線開通式典にはコイララ首相、小川正史特命全権大使を始め、地元の多くの方も集い、喜びを分かち合った。
森林や灌漑水路の保全、希少動物の保護等のきめ細かな環境保護対策や、メンテナンスや技術移転を考慮した地元住民の雇用などにより、地域社会への貢献も図られている。この道路は、国を横断する物流の動脈であると同時に、沿線に暮らす人々から高く期待されていた生活道路でもあった。このため沿線集落の利便性へ配慮した設計はもちろん、工事で発生した残土を活用した公共施設の用地造成など、地域コミュニティに貢献する道路づくりを徹底した。
こうした取り組みは容易ではなく、時に尊い犠牲も伴う数々の困難を乗り越えたプロジェクトであった。
着工時からプロジェクトマネージャとして関わった現地の高官は次のように語る。
「シンズリ道路の開通は、沿道の地域経済の活性化に大きく寄与しているのみならず、建設時に導入された各種の斜面安定工・擁壁工技術も、道路建設によってもたらされた恩恵の一つ。国土の8割が山岳地帯のネパールでは、こうした工法は非常に重要で、今後の道路建設に生かしていくべき技術。
また、人とモノの流れが速くなり、経済活動の発展や教育・保健医療の改善にも大きな影響を与えている。シンズリ道路を主幹とした地域道路の延伸も進み、衛星タウンともいえる地域開発も始まっている。カトマンズ盆地への人口の一極集中を緩和し、都市環境の改善にもつながる可能性を感じている」

道路整備前/提供:国際協力機構(JICA)

道路整備後/提供:国際協力機構(JICA)
完成した翌月、ネパールはマグニチュード7.8の大地震に襲われた。だが、シンズリ道路は震源地に近かったものの損傷は軽微にとどまり、物資調達の唯一の輸送として、さらには避難民の退避路として貢献。多くの幹線道路が不通となる中、大きな声で感謝の声が上がった。日本企業による設計・施工の安全性と信頼性があらためて立証され、土木学会技術賞、国際協力機構(JICA)理事長賞、小沢海外功労賞などを受賞することとなった。
プロジェクトに携わったスタッフのひとりである大石英輝も語る。
「シンズリ道路の建設にあたり、テント生活で道なき道を1週間かけて現地踏査した場所が、今では、車で5時間の幹線道路として立派に機能している。内戦と政治的動乱、そして王政廃止から共和制の移行が進む20年間に、延べ580万人の作業員、54人の施工業者職員、30人の設計・施工監理コンサルタントが昼夜を問わず作り上げたもの。ネパールにとってだけではなく、我々にとっても偉大な財産だと思う」
シンズリ道路は、その建設過程を通じて、工事対象地域に住む住民を積極的に雇用し、安全対策やチームワークを重んじるといった「日本式」の従業員教育を行ってきた。道路建設の目的は、ある地点とある地点をつなぐものではあるが、シンズリ道路の建設で築かれたのは、地域の人々が交流したり、就労や学んだりするための基盤でもある。
着工から20年にわたる支援の歴史は、ネパールの人々の心をつなぎ、ネパールと日本の絆をも深めた。
工事概要
所在地 | ネパール シンズリ郡 |
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発注者 | ネパール連邦民主共和国 公共インフラ交通省道路局 |
設計・コンサルタント | 日本工営株式会社 |
竣工年 | 2015年 |
概要 | 第1工区バルディバス〜シンズリバザール(37.0km) |
第2工区シンズリバザール〜クルコット(35.8km) | |
第3工区クルコット〜ネパールトック(36.8km) | |
第4工区ネパールトック〜ドゥリケル(50.0km) |
引用元
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シンズリ道路リーフレット(日本工営作成)
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ネパールの悲願「シンズリ道路」が土木学会賞を受賞——高低差1,300メートルを克服し、ネパールの経済発展に寄与(国際協力機構/JICA)
https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11666283/www.jica.go.jp/topics/2016/20160617_01.html